あれから5年を過ぎて

【名前】 N.I(47)
【同居の家族】夫(59),娘(18,16),犬
【3.11後の避難の経緯】埼玉県富士見市(震災時)→岡山市(2016.2)→同市で転居

§ 避難を決めた理由

健康上の心配、特に長女の体調不良。直下型地震の不安。

§ 情報収集に明け暮れる

3月11日は練馬の施設でマッサージの仕事をしていた。 大きな地震が何度か来たが、全ての仕事を終えてから帰途についた。 しかし、東武東上線が止まっていた。 家までは約16キロで、他の人たちと線路に沿って8キロくらい歩いたが、 この先は道が複雑で危険だからと言われ、朝霞警察署で家族が迎えに来るのを待たせてもらった。
昔働いていた病院では、無用にレントゲン室に近づかないようにと注意徹底され、 朝礼では頻繁にチェルノブイリの話題があがっていたので、放射能の危険性はよく知っていた。 福島原発の爆発がわかると、ツイッターなどで情報収集に明け暮れた。 視覚に障害があるが、スクリーンリーダー(画面読み上げソフト)で、検索もネットショッピングも自由にできる。

§ 体調不良で岡山へ

「子どもをここに置くのはヤバイ」と思ったが、夫は「おまえはおかしい。踊らされている。」と主張するので、避難をあきらめた。 「しょうがない、ここで気をつけて生活し、自分にできることをしていこう」と決め、盲導犬の「U」と共に、募金活動やデモなどにも積極的に参加した。
食べ物は、最初は近所の低農薬のものを食べていたが、西日本の食品が買える店を利用したり、安心なものを取り寄せるようになった。 さらに夫が市民測定所を設立したので、より安全なものを食べることができるようになった。
しかし、酷い頭痛はいっこうに収まらず、長女は心臓の痛みや体調不良があり、ヨーグルトしか食べられずにガリガリにやせ細り、体力も落ちてしまった。 夫婦で西日本への移住を考えはじめ、3度の下見を経て、まず夫と娘が2015年3月に岡山に引っ越すことになった。

§ 亡くなった盲導犬

はじめてのパートナー「U」はとても賢い犬で、私をとても強くしてくれた。 震災後は何度も募金活動やデモに行き、いつも一緒だった。 しかし、家族が引っ越しを終えた1週間後、体調が急変し、5人がかりの緊急手術を受けた。 実は他の盲導犬が何頭も早く亡くなっている。 ドッグフードは海外のものを食べさせていたが、犬の頭は低い位置にある。 もしかすると...。 9年半私のために働いてくれた彼女は、引退後たった38日で茨城県で息を引き取ることになった。 最後まで飼ってやればよかった。亡くなって1年以上たつが、まだ心の整理がついていない。
2代目の「D」は、私の所に来たころは、吸い込むような咳と、犬らしくないウサギのような糞をしていた。 しかし、2016年2月に岡山に引っ越してきてからは、咳もなくなり、糞も正常になった。

§ 結婚しないと言う娘

一方私は、原因不明の痛みや貧血で通院している。春には救急で市民病院にお世話になった。 体調不良により、体重が20キロ減り体力が落ちてしまった。
長女は「自分の身体は傷ついてしまった。もう結婚はしない。」と話している。 小さいころからとても敏感で、えっと思うような本質的なことを言う子なので、ごまかしはきかない。 今は「彼女はそう考えているのだ」ということを、ただ受け入れるしかない。

§ 優しい岡山の人たち

岡山の人は優しい。声をかけるとすぐに止まってくれるし、犬を連れていて入店拒否にあったことがない。
歩いていて困るのは、車が人間のすぐそばを通ることと、アイランド型の交差点。方向がわからなくなってしまう。 もし白杖や、盲導犬などを見かけたら、離れて通って欲しい。

(2016.12.8 木島・仙田)