遅すぎた避難

【名前】アンパンマン(59)
【同居の家族】妻(47),娘(18,16),犬
【3.11後の避難の経緯】埼玉県富士見市(震災時)→岡山市(2015.3)→同市で転居

§ 避難を決めた理由

健康上の心配、特に子どもの体調不良。福島原発が今後どうなるかわからないこと。首都圏直下型地震の不安。

§ 通学路が汚染

妻は原発の爆発直後から、Twitterやネット検索で放射能について調べ、危険だと言っていたが、私は「大したことないんじゃないか」と思っていた。 広島平和記念資料館で焼け焦げた広島の様子は知っていたが、放射性物質が埼玉まで届くとは思っていなかった。
しかし、妻が頻繁に酷い頭痛を起こすようになったため、信頼性の高い線量計Radi (堀場製作所製)を購入した。 爆発から5か月近く経っているというのに、子どもの通学路を測ったら、地上10センチで0.3マイクロもあり、危機感を持った。 逃げたいが、ローンなど経済的な理由もあり難しい。
「自分で測って、放射性物質をできる限り避けるしかないのか? 他の子たちも具合が悪くなっていくのか?」と不安に思った。

§ 浄水器や測定器を自作

私は建築関係の仕事だったので、物作りのノウハウをもっている。 まずは、部品を買ってきてRO(逆浸透膜)浄水器を自作した。 2011年10月にできた柏市の「ベクミル」を見学をしたときには、「放射線測定器は、自分で作れるんじゃないか?」とピンときた。
食品等の放射線量は、鉛の容器で外部放射線を遮蔽して、検体の放射線を測る。 後日、ラディ用で食品などのベクレルを測れるキットが売られていたので、鉛の遮蔽容器を作り、ラディ用の簡易測定器を作製した。
「市民測定所を開設しようか?」と考えていたとき、運よく「測定所の開設を援助する」という話を聞き、2か月後の2012年7月に、「みんなの測定所・ふじみーる」をオープンした。

§ 妻と長女の体調が悪化

ある日、妻が「ここで寝ると体調が悪くなる」という部屋のカーテンを測定してみた。 風通しの良い2階の部屋だ。結果は1000ベクレル超え。 掃除機のゴミパックも、2012年8月の時点で、軽く1000や2000の数値が出た。 自宅から400mの場所にあるゴミ焼却場は、震災のガレキは受け入れていない。 とすると、一般ゴミから、かなりの放射能が出ているということになる。
そうこうするうち、妻だけでなく、長女も体調を崩して学校に行けなくなった。 「心臓が痛い・喉が変・息が出来ない」というが、検査しても原因不明だ。 夜になると体調が悪くなり、夜間救急車を呼んだこともあった。 1年間は、ヨーグルトしか食べることができず、やせ細ってしまった。
「やはりここに住み続けることはできない」と思い、原発から遠く、避難者の多い岡山を移住先に定めた。
家族で3度目に下見をしたとき、庭の広いとても良い家に出会った。 大家さんもとても親切で、目の不自由な妻のためにトイレの改修まで申し出てくれた。

§ ついに岡山へ

2015年3月に、まずは私と娘2人で引越し、後に妻も合流した。 「みんなの測定所・ふじみーる」も、名称はそのままで、富士見市から岡山に移転した。 現在は中古住宅を購入し、自分で改修しながら生活している。
岡山は、気候が良くて、放射能の心配がないのがよい。 ただ、伊方などの原発もあるので、いつまで安全にいられるのかという不安はある。 そのときはどうするのかわからない。
子どもたちの健康や未来が一番大切だ。 生物としての寿命を全うしてほしい。 放射能や戦争など、他の要因で命が脅かされるのは耐えきれない。

HP みんなの測定所ふじみーる

(2016.12.8 木島・仙田)