保養できるところを作ろう

【名前】匿名
【3.11後の避難の経緯】関東→岡山(2014年春)

§ 子どもたちを守りたい

3.11後、住んでいる地を測定したり原発事故のことを調べているうち、被害は永く続くと思った。 自分のまわりにいる関東の子どもたちに、安全な水や食べ物、保養して移住を考えられる場所を作る必要がある、子どもたちを守りたい。そう思い、仲間たちと3年かけて準備をした。

§ せっかくなら田舎を楽しめる環境で

関東から来るのに交通の便の良い岡山にしよう、せっかく地方に来るなら多少田舎を楽しめる環境で、と保養に来た人が移住することも考えながら探した。 子ども未来の大塚さんをはじめ色々な方にお世話になって一軒家を借りることができ、関東から何度も通いながら準備をすすめた。

一方で「山間部は大変だよ」とまわりに言われていたが、確かに方言にも苦労した。 岡山に来て1年も経つ頃、移住してきた目的の保養場所を作ることが、毎日の仕事や生活に翻弄されるようになっていた。 そこで他の保養に参加しながら勉強を重ね、自分たちの保養をあらためて考え直している。

今でもその答えはまだ出ないけれど、この2年、保養や移住の下見にきた親子からの声を綴ったノートには、たくさんの笑顔がある。 はじめは身近にいた子どもたちを迎えるためだったけれど、今もっと多くの方々に利用していただけたらと思っているところ。

§ 自分にとっての幸せ

長年、子どもと関わる仕事をしてきたけれど、改めて自分にとっての幸せは、子どもとの関わりの中で生きていくことだと思った。 子どもが育ち大人になっていく一番たいせつな仕事をしていたい、そこが自分の軸になっている。

岡山に来てから、本当に素敵な人たちとどれだけ出会えたことか。 たくさんの人と子どもと関わりながら、人間としてちゃんと生きていられる、純粋にそれが一番嬉しい。

(2016.10.30 飯塚・宮岡)