確かなものは人とのつながり

【名前】杉岡直人(50)
【同居している家族】妻(48),娘(14),犬・ヤギ各1匹
【3.11後の避難の経路】福島県小野町(震災時)→静岡県(2011.3.15)→大阪府(3.19)→兵庫県(3.26)→岡山県久米南町(3.29)

§ 長男のひとことで避難

恐怖心が先に立って冷静さを失い、「日本中に原発があるし、どこに逃げても同じだ」と思ったが、当時中3の長男の「逃がしてくれ」というひとことで避難を決めた。原発事故を調べていた私の兄から再三「逃げろ」と言われたり、家内が原発事故について分かっていて、諦めたようなことを言っていたので、それを聞いて逃げたいと思ったのだろう。

§ 原発から遠い岡山へ

当初は、東京まで避難して、子どもたちを兄に預けて、福島へ帰ろうと思っていたが、東京もだめで、どんどん西へ行った。 全国の原発から半径50km、100㎞の円を描いて、引っかからないところ、地震や津波が少ないところを探したら、消去法で岡山になった。 兄が震災直前のイベントで知り合った岡山の人に連絡したら、「家を一軒あけて待っているから」と言ってくれた。 最初は、親戚や友人など3家族同居の避難生活だった。

§ 福島の友人への想い

福島に残った友人たちがみんな無事なので、それはよかったと思う。 ただ、地震も原発事故も過去の話、なかったことにして、経済を復興させることだけを、行政や社会が目ざしているように感じる。 それに福島の人も乗っかっているのかもしれない。 自分が求めていた福島とは違ってしまったので、求める生活ができる場所に移り住んだわけだが、すべてを投げ出して、後始末もせずに出てきたことは気になっている。 おととし福島へ帰ったとき、5年ぶりに友人と話したが、私が避難したことをそれほど気にしてないとわかって、安心した。

§ 損得ではないこと

不確かなものが多くなり、確かなものは人とのつながりだけかなと思う。 損得勘定を抜きにしたら、人づきあいはうんと楽になるし、損得勘定がどれだけ人を不幸にするかを、震災で目の当たりにした。 危ないけどお金になるから、予算がついて仕事があるから、原発にも行くわけだ。 東京の仕事をやめてから十数年、福島で暮らした後に震災に遭い、「最終的に家族の幸せとは何か?」を考えるようになった。 「お金は儲けたが、子どもがガンになった」というのでは、幸せとはいえない。 人はいつか死ぬが、そのとき「幸せだったなあ」と思える生き方をしたい。

§ 被害者・加害者を超えて

自分は避難して被害者だと思っていたが、加害者かもしれない。 東京に生まれ育って、東電の電気をバンバン使っていたし、銀行で働いていたときは、「お金がなければ生活できないですよ」と人々に思い込ませていた。 「お客さんのため」と言いながら、自分のため、ノルマのためにやっていた。 住んでいた町に、福島原発に働きに行ってる人がいたが、その人は加害者なのかというと、そうとは言い切れない。 被害者・加害者ということではなく、損得を抜きにした関係が作れればいいと思う。 なぜ事故を起こしてまで、原発をしなければならなかったのか。 それをしなければならなかった人たちを、もう作らないようにしたい。
便利な世の中になったが、便利さが生活を忙しくさせている。 高速で移動できる手段があるから、急がなくてはいけない。 携帯があるから、直前に予定が入る。 LINEをしているから、自分の時間がない・・・。 スローライフという言葉もできて、気づく人も増えているが、そういう人が増えるほど圧力も大きくなるかもしれない。

§ 岡山で充実した生活

望んでではなく、たまたま来た岡山だったが、有機農業や自給自足など、福島でしたかったことができるようになった。 福島では自給率1~2%だったが、今は米・小麦・豆を自給しているし、直接販売もしている。 おととしは高校卒業30年、昨年は大学卒業25年の会があり、参加して近況を話したら、米や野菜を取ってくれる人が急に増えた。 岡山に来たからこそ、福島にいたときより充実した生活ができていると思う。

(2017.1.18 宮岡・仙田)