ただただ息子のために

【名前】Tさん(30代)
【同居の家族】夫,子ども(2)
【避難の経路】東京都葛飾区(震災時)→東京都町田市(2012.4)→岡山県総社市(2015.4)

§ 避難を決めた理由

放射能の不安のある場所で、子どもを育てられないと思ったから。

§ 自宅や川の汚染に不安

新婚だった2011年の夏、放射能研究機関に勤める友人から、葛飾区がホットスポットであることを聞いた。 線量計で自宅を計ってもらったところ、窓の近くの畳から高い数値が出た。 その友人は妻子を九州に逃がしており、私たちにも「動けるなら、動いたほうがいい」と勧めてくれた。 夫の実家は町田市にあり、ちょうど空いていたので引越すことにした。 緑豊かで川や畑があり、少し歩けば山登りもできる、子育てには理想的な環境だった。

しかし、妊娠すると、放射能に対する不安がじわじわと増していった。 夫は植物を扱う仕事のため、砂や泥のついた作業着のまま帰宅する。 「作業着はお風呂で脱いで!」とヒステリックに言う私と、危機感のない夫の間で、けんかになることが頻繁にあった。 息子が生後6カ月の春、総社市を見に行ったりもした。

夏になると、近所の子どもたちが家の前の川で泥かきをしながら遊んでいる姿が目についた。 不安になって調べたところ、川底の土が放射能汚染されているとの検査結果を目にしてしまった。 「息子が成長したら、川で遊びたがるんだろうな....・・・」 「果たしてここで子育てなんてできるのか?」

§ 移住後は息子と2人きり

運の良いことに、夫は「日本国内なら住む場所にこだわらない」という人で、手に職もある。 偶然、仕事の契約切れも重なり、翌年の春に移住が実現した。 親子3人で心機一転、新しい生活を始めた。

ところが、移住して1カ月たった時、夫は突然、「仕事の勉強のため岐阜に行きたい」と言い出し、まだ部屋にダンボールが積まれたままの2カ月目から半年もの間、岐阜県に行ってしまった。それまでの仕事は体力勝負、いつまで続けられるか不安があったのだと思う。とはいえ、新しい土地で、まだ幼い息子と2人きりの生活。遠出することもできない日々が続いた。

夫は色々なアルバイトを経て、自営で元の仕事に落ち着いた。 今では生活にも慣れ、家族で倉敷や蒜山などに出かけることも多く、岡山ライフを満喫している。

§ 習慣や人間関係の違いに驚く

同じ日本に住み、同じ言葉を話す人間でありながら、地域によってこんなにも習慣や人との関係性に違いがあることに驚いた。
地域には自分の親と同世代の人が多く、当時1歳だった息子を、たくさんの方が自分の孫のようにかわいがってくれた。 特によくしてくださる方がいて、親しく行き来していたところ、嫉妬なのだろうか、関係をよく思わない人にあらぬ噂を立てられてしまった。また、昔からの常識とか地域の人の力関係など、最初の1年は戸惑いと試行錯誤の年となった。

特に驚いたのは、人間関係が密であること。 車の有無や消灯時間から、いつ出かけていたかとか、寝た時間やお風呂に入った時間まで近所の人に知られてしまう。 高齢者が多いので、無事を確認する目的もあるのだろうと思うし、ありがたい側面もあるが...。
引越した頃はまだ授乳期だったので戸惑ったが、見られたくない時はカーテンをして窓の鍵を閉めるなど、注意するようにした。 今も時々、近所の人が息子が入浴中だと気づいて、外から「おーい」と声をかけてくれることがあるが、私も入浴中であることがバレていると思うと、何か答えるわけにもいかず、恥ずかしい気分になる。

§ 毎日の生活を大切に

放射能のこと、両親の説得、移住先はどこにするか、夫の仕事のこと、新しい土地での人間関係や習慣になじむことなど、ここ数年考えることがあまりに多すぎた。 息子は来春、幼稚園に入園するが、それまでの間、子どものことだけを考え、毎日の生活を大切に過ごしたい。ただただ、息子のためにここに来たのだから。

§ 息子と成長していく幸せ

震災前は、長野県の安曇野に移住し、シュタイナー教育で子育てをしようと計画していた。 だから田舎に住む覚悟をして移住したのだが、総社は街が整備されていて、想像よりずっと都会だった。 少し車を走らせれば、何でも手に入る。私自身はもっと不便でもやっていけると思っている。

最初の頃は、家にネズミが出ることもあり、ムカデが水の中を泳ぐ姿にも驚いた。 東京にずっと住んでいたら、自分が自然の中で生きていることに気がつかないまま死んでいって、もったいなかったなと思う。 虫⇒カエル⇒ヘビ⇒ネコといった自然の循環が繰り広げられる環境から、息子はたくさんのことを勉強するのだろう。 そして、東京出身の私も、息子と一緒に多くのことを学び、成長していけることに、とてもワクワクしている。

(2016.10.14 木島・宮岡)