私にとっての311

【名前】TMさん(43)
【同居の家族】夫(43),息子(5)
【3.11後の避難の経緯】東京都→岡山に下見(2012.4)→岡山に移住(2012.5)

§ きっかけは母の言葉

震災の時、住まいは新宿区、祖母が所有する古いアパート。 ちょうど妊娠12週に入ったところだった。 大きな被害もなく、その後も震災前と何も変わらない生活が続いた。 夫も自分も仕事が忙しく、仕事以外のことは考える余裕がなかった。 出産後も子どもを預けて働き続けるつもりでいた。
同年11月に息子を出産、産休を取り千葉の実家で放射能を気にしながら日々過ごした。 野菜の産地にこだわりスーパーのハシゴをしたり、遠方から取り寄せたり、ベビーカーの車輪につく泥を気にしたり・・・。 気にすることに疲れてきて、これはやってられない、と思っていた矢先の2012年2月に、母がシニア大学で原発事故後の放射能についての話を聞く機会があった。
その帰宅後「そんなに心配だったらここから離れることも考えたら?」と母から言われ、その時点から、子どもの安全を考えて移住という選択もありかもしれないと考え始めた。4月からは仕事に復帰の予定でいたし、夫が設計した家を建てる計画も進んでいたところだった。

§ 母子だけでも移住する覚悟で

急遽、会社に移住したいことを話し、辞表を出した。 幸い、社長が理解のある人で、「子どものことを考えたら当然のこと」と、背中を押してくれた。 家の新築計画も、夫は周りの人に頼んではいたが、契約などはしていなかったので、大きな損失もないまま、とりやめることができた。
夫は当初移住には反対だったが、夫が行かなくても母子だけで移住をするという自分の決意に最終的に折れてくれた。 夫の友人の奥さんがその時すでに京都に避難していたことも夫が納得した理由の一つになったのではないか。 「おかしい」と思っているのは自分たちだけではないと思えた。
移住先は、沖縄などではなく、できれば陸続きがいいと思った。 夫が「倉敷なら行ってもいい」と言うので、4月に1週間、岡山に下見に来た。 倉敷で物件を探したが、街中は都会と変わらない印象で、せっかくならもう少し自然の中で子育てをしたいと思い、総社に足を伸ばすことにした。
総社で一つ目の物件を見て、そこに決めた。それが岡山に下見に来て1日目。 二日目には夫はハローワークに足を運び、情報収集をした。 その後、転職紹介サイトで夫が希望する設計の職を見つけ、夫は日帰りで岡山まで面接に来て就職先が決まった。

§ 心の準備もないまま新しい暮らしが始まる

総社で生活を始めたのは5月末。 とにかく関東から逃げたいという勢いで移住したので、心の準備もないまま新しい暮らしが始まった。
実家の手助けもない、知る人もいない中、思い通りにいかない初めての育児、右も左も分からない初めての場所・・・移住を始めてからがしんどかった。目の前の仕事をこなすのが精一杯の毎日だった東京での暮らしから一変、心にぽっかりと大きな穴が空いたような気がした。
慣れない場所で、一日中幼いわが子と二人っきりで過ごすことが段々苦しくなり、イライラした気持ちが抑えきれなくなり、総社市の子ども課に助けを求めたこともあった。子どもを預かってくれる人もいなくて、運転免許証を取るために託児つきの教習所を求めて倉敷まで通ったこともあった。

§ 総社でのくらし

その後、市の子育て支援の人が親身になって助けてくれたり、移住者との出会いがあったり、子どもつながりで隣の人と親しくなったりしたことで救われたように思う。仕事をすることも考えたが、子どものことを思うとそれがいいのか分からず、未だ踏み切れていない。
1年半ほど前から「あそびのきち おひさま」の食堂で週に一度、「飯炊きおばさん」をしている。 0歳から6年生までの子どもたち40人分(夏休みは80人分!)の食事を作ることが、やりがいを感じるし、とても楽しい。 届いた野菜を見て、その日のメニューを決め、時間通りに人数分を作る。できるだけ旬の野菜を食べてもらえるように工夫をしている。
夫は、朝6時半に出て終電で帰宅の毎日、土曜も出勤している。 夫の身体が心配だが、彼が好きな設計の仕事にも就け、やりがいがあって充実しているように見える。
移住前から家を建てる心積もりをしていたので、総社に2年住んで、この地に家を建てることに決めた。 リビングは2階にしたいとか、家事動線を夫に伝え、夫が時間をかけて設計し、2014年12月に完成した。
リビングから遠くの山が見渡せ、自然がいっぱいの景色が見えるのがとても気持ちがいい。 東京に家を建てていたら庭もないし、窓からこんな景色を見ることも無理だったと思う。

§ 今 大切にしていること

子どもを持つ前は、添加物や農薬なども全く気にしていなかったが、子どもがアトピーなので、食べる物に関しては気を使っている。 かといって、過保護になり過ぎず、自然に多く触れさせたいと思っている。 毎日の生活を大切にしている、と言うとかっこよすぎる気がするが、自分がイライラしなくて済む、穏やかな気持ちで育児ができればと思っている。子どものためにも自分のためにも、がんばりすぎない子育てをしたい。

§ 気がついたこと学んだこと

離れて暮らすようになって、母のありがたさを思い知った。 また、政治や自分の環境に何が起こっているのか興味を持って、今はできていないけど、積極的に声を上げていかなければいけないということを学んだ。 新聞を読んで「あ~こわっ」と思うだけではダメなんだなと思った。 のほほんと生活しているだけでなく、やるべきことをやらないといけない。
20代の時イギリスに行っていたとき、自分の国のことをよく知らないことを痛感した。 家族や友だちと政治の話しができるような国になればいいのにと思う。夫婦で選挙に行っても誰に投票したのか言っちゃいけない、みたいな雰囲気があるのがおかしいと思う。

§ 岡山のいいところ

自分の両親は二人とも東京出身なので、田舎がなかった。 子どもが育つには自然があるところがいいと思うので、その点、岡山で子育てできたことはよかった。 岡山は、人も優しいし、気候もいいし、食べ物もおいしい。 やりがいのある仕事があって生活の基盤があれば、住みやすい場所だと思う。

(2016.11.17 高橋・木島)